こんにちは。ドイツ語の個人レッスンをしているドイツ住在のななです。
第2回のテーマは私が思う「言葉がすべて」の本当の意味をドイツ文化の視点から書いてみたいと思います。(すみません書き終わって気づいた、今回はレッスン関係ないです!)
言語化と文化
近年は日本でも言語化を重要視し始めてきた人が多いと思います。日本の文化圏で育った人(私を含め)は思い込みが強い傾向にあると20年前に初めて海外に出たときから感じています。ほとんどの人は無意識に空気を読んでしまいますし、相手の態度を勝手に解釈するとか、しぐさや目線を読むだけでは誤解や思い込みが多すぎる上にいつまでたってもすっきりしないことが多いです。
自分の意図を相手に伝えるために持つ言葉がどれだけ重要なことか。そしてそれは一緒に住んでいる家族や近い関係であるほど重要だと。それに気づき始めている人が増えてきているのではないかと。
しかしヨーロッパは、今日本が気づき始めている程度の言葉の重要性には二千年ぐらい前から気づいてて「言わない=ゼロ」を徹底している世界です。
ドイツに住んでいる人は経験がある人も多いと思う。家族や誕生日パーティーなどでたくさんの人が集まって食事をしながら話す機会は多いですよね。そのための言葉まであります。
“Gesellschaft leisten”
これは簡単にいうと「雑談につきあう」という意味です。日本語に訳しにくいですが、とにかく自分の意思とは別に人や社会、グループに合わせて交流などに参加するというニュアンスがあります。いや、個人主義なのに!と思うかもしれませんが、個人主義とは全て自分の意思で勝手にふるまっていいのではない。現地の人は子供も含め、ほぼ強制のGesellschaft leistenを年に最低いくつかは持っています。
Gesellschaft leistenはドイツに住むならできたほうがいいと感じます。でないと特定の人としかつきあえず孤立して視野が狭くなってしまう。ドイツの人付き合いの中ではとても重要なことだからです。
そんなわけでドイツでは初対面の人とテーブルを囲むこともよくありますよね。それもGesellschaft leistenなんです。でもそこで一言も発せなければ、あなたの存在は「無」になってしまいます。悲しいことに。来ていないのと一緒になる。いくらかわいく着飾っていても、身だしなみに気を使っていても。言葉がないと人形同様で誰も話しかけてくれません。
食事があれば「食べる」という動作ができるのでまだましです。でも食事が終わって何か飲みながら話す時間。こっちの人は長時間よく話しますよね。この時に一言も発さなかったらこれこそあなたは存在するけど同時に存在していない。誰とも仲良くなれないし誰の印象にも残らない。陰口さえ言われない。だって存在がないのだから。
もしその中でボードゲームなどが始まったとして、一切の意思表示や反応をしなかったら「やる気がない」と判断されて入れてももらえない可能性すらあります。わからなかったら積極的に訊くか、隣の人と一緒にさせてと頼むなど自分で解決策を取らないと誰もフォローはしてくれないのです。個人的にドイツのグループが一番厳しいと思うのは、邪魔になりすぎることも嫌がられるということです。説明してもらってもあまりにもついていけなかったりお手上げだったら自分から無理だといって見ていたり退席するなりしたほうがいい。それでもやる気を見せ試すこと何もしないよりもましだと私は思う。
日本やったら居心地が悪そうなゲストがいたら雰囲気が悪くなる、という理由から誰かが気を使って話題を変えたり声かけたりするかもしれない。でもそれはこっちの文化じゃない。
こっちではそもそも自分から話さない人には「話しかけない」ことが礼儀なんです。逆だよね、変な感じがしますよね。でもグループで話をしている時に無言の人に話しかける時は注意が必要だったりします。
なんでか分かりますか?
だって無言でいる人は「そのテーマについては話さない」という意思表示をしているから。話しかけたら逆に無礼。話すことがあれば口あるんだから自分で話し始めるやん、というスタンスなんです。その証拠によく、今まで全く話さなかった人が話題が変わった瞬間に突然「それについては私は話せることがある」と言い出して話し出すわけ。
私、初めてそれを聴いたときは「へー!」と思いました。そういうこと!って。
だから絶対に「自分から」話に入る必要があるんです。まぁ日本の文化を少しでも知っている人であれば違う対応をしてくれて楽かもしれないけど。私は夫とは現地で知り合い、夫や家族は日本に何の関係も親近感もなかったので最初からかなりの洗礼、言い換えればとてもアットホームなカルチャーショックを受けました。
こう見れば厳しい世界ですよね。
ドイツでの交流っていうのは、誰にでも開かれていてとてもオープンなんです。初対面も大歓迎。あまり外に開かれていない「いつもこのメンバーだけ」「他は絶対入れない」的なものがほとんどありません。私にもいつも4人で会う友達がいますが、時々別の人が来たりします。いつも4人でなければいけないなんて決まりはないし、4人じゃないと嫌!と感じることはありません。全然オープン。
初対面の人の結婚式行ったことある人も多いでしょ?パートナーという理由だけで。結婚式ですらそんなにオープンなんです。だけど、決して誰か一人に合わせたり気を使ったりはしない。「好きなときに好きなだけ入って来て自分で楽しんでね」というスタンスです。でも積極的に言語で交流しにいけばいつでもどんな時でも受け入れてくれる(言語が下手すぎるとそれは無理です。相手も楽しみにきているわけで負担がかかりすぎる)。それは家族でも他人でもどこでも同じ雰囲気があります。「言語で交流」というのがポイント。ほんとにヨーロッパって言語ありきの世界だなぁと感じます。
なので文化適応の前にドイツ語の時点で大半のアジア人は脱落してしまう(ヨーロッパ言語の母語者は逆に交流も余裕です。文化も似てるし)。1対1の個人でつきあうか自国の人のグループにいたほうが楽、ってなる。そうだよね。めっちゃ気持ちわかります。
でもめっちゃ頑張ってドイツ語勉強して現地の人と意思疎通ができても!その上にまだ今言ったような文化の壁もあるという。ほんとに苦しいしもういいや、と思う気持ちも分かります。
やっぱり私たちの文化的には「自分が言語学習でこんなにも努力してるんだから、それを分かってほしい」「相手も自分に少しぐらい合わせてくれてもいいのでは」という相手への期待がかなりあるんだと思います。その結果、話しかけたりしてもらえないと「思いやりがない」という思考になってしまう。
いや、言いたいことはめっちゃわかるけどな!でもそれは私が日本人だから分かるだけ。
相手からすると「言いたいことがあるなら言えばいい、もし自分がそうしたければするから」ということでしょう。決して分かり合えないですよね。
なぜ私たちがドイツ社会に適応するのがこんなに困難なのかというと、個人主義や言語化のスキルだけでいえばドイツを含むヨーロッパは、日本やアジアよりも相当先に進んでいるからだと私は思います。言語化を長い間良しとしなかった私たちの文化とはまだ遠すぎると思う。とにかくそこに関しては日本文化と全く合っていないのです。誰なんドイツは日本と似てるとか言ってる人?それを言えるのはきっとドイツ語を話したことがない人です。ドイツは二千年先を行く言語化や個人主義の先進国なんです。
さらに私はこうも感じています。やっぱりドイツやフランスはEUの中心国。ほかのヨーロッパ諸国、たとえばクロアチアやハンガリーなどよりも言語化において先進国だと思います。他国の人もドイツ人の中に入ればやっぱりちょっと雰囲気が違う。
これは文化の「良し悪し」を言ってるんじゃないですよ。「ただ違う」発展をしただけ。日本の話さない文化とただ「違う」だけです。でも言語化が大事と思う人が多くなったのなら欧米は先進国なので、私たちが学ぶことがたくさんあると思います。

後進国が先進国の文化の中に入る困難さを想像したことってありますか?本当に理解できる人は日本には少ないでしょう。私の経験でいえば先進国が後進国の中に入るより何倍もきついと思う。ベトナムの技能実習生が経済先進国の日本に適応するのがどれだけの精神力を必要としまた困難か、想像できる人もほとんどいないでしょう。もしできていたら日本国内であんな数のヘイト発言は出てこない。
そして私たち個人主義後進国がドイツの文化に適応するのも想像できないほどの困難さなわけ。だからドイツ語学習の最初の段階で挫折ってなると、もうそれはかなり適応力が低いとみられてしまいます。客観的に。だって何度もいうけど言語化ができない=ゼロなんだから。
いや、厳し~と思うやろ。自分に置き換えたら想像できるやろ。それがアジア諸国から日本に働きに来てる人たちの困難さと重なるのは私だけでしょうか?日本人はドイツ人に比べ、日本に住む外国人への要求も高いです。日本に住むんやったら日本の文化に合わせ、日本語で意思疎通して当然やと思うやろ。日本語話せない人に日本の永住権あげたくないと思ってる人は多いでしょう?
ドイツ人だって日本ほどヘイト的ではないがそう思ってる。ドイツに長年住むんやったらドイツ語ぐらい話せてくれや、ぐらいは思っている。それがめちゃくちゃ難しいねん!って叫びたくなるやろ?でもそうじゃないねん。現地の人にそんなことが理解できるはずがないねん。日本がスリランカの技能実習生や中国からの大学生の苦悩を理解する気がないのと同じで。
そしてあなたのドイツ語学習が特別厳しいんじゃない。あなたがドイツのような言語化先進国に住んで適応を目指すという判断をしたことが厳しさを伴ってるんや。ドイツ語は誰にでもオープンに開かれているし、ドイツ人の文化はとてもオープンだと私は感じます。
そして先進国への適応は特別に厳しい、と後進国への適応もさんざん経験している私も感じます。ドイツ語の学習以上にものすごいエネルギーや知的さ勇気などの全てを総動員して長年がんばらないといけないです。私自身もです。
日本的な「愛想のよさ」や「気配り」で共感させてなんとか気をひけるんじゃないか?と思う人は一度やってみればいい。私も思ったことあります。だって日本やアジアではそれは面白いほど通用しますよね。人気者になれます。ドイツでも個人個人ではなんとかなるかもしれないけど、グループ内では全くといっていいほど通用しません。それはなんでかというと、やっぱりその分野において私たちの文化は後進国だからだと思うのです。
ドイツの学校教育を受けた人々は言葉の大切さを私たちの非ではないほどに知っている。そして子供の頃から大人に何度も何度も言葉で伝えるトレーニングをされている。
幼稚園の子供でも自分の要求があったら伝えなければならないんです。たとえばお弁当の箱が開けられなかったら「開けられないから開けて」と先生に頼まないと先生側は何もしてくれない。うそやん、みんなが食べてるのに一人だけお弁当を食べれずに泣きそうになりながらお弁当箱と格闘してたら先生が飛んできてくれると思う?
いやいや、言わへんかったらゼロやねん。
実践練習
ドイツ語でも実践ファーストだと思っている私は文化適応でも実践ファーストだと思っている。日常で近い人に練習していこう。言葉は近い相手であるほど大事にしないといけないと思うから。
私も日本で20歳まで育った人なのでしっかり日本の文化や教育は根付いていて、だからこそそれは意識をして毎日練習して変えなければならないと思っている。私も毎日まわりの人たちの真似をして自分の意思を言語化しています。言語と同じで言語化も身体が覚えるまで何百回も何千回も練習するのが常識や。
難しい!と思う人はまず日常の簡単なところから始めよう。言語化するっていうのは複雑な気持ちを吐き出すことでは全くないですよ。複雑なものを言わなきゃ、が言語化じゃないから。複雑な自分の気持ちを言語化するのはドイツ語学習でいうとC1ぐらいや。A1ができひん人にC1ができるわけない。
しょーもなくて、どうでもいいことを言語化する練習をたくさんしよう。それに害はないと思います。
たとえば私は今朝、機械がコーヒーを入れてる時間を利用して台所の掃除をした。5分ぐらい。
それで流しとかコンロとかが結構きれいになったので、夫にコーヒーを持っていくときに言っておく。
「台所をきれいにしたから後で見たら褒めてね」
と。もちろんドイツ語で言っている。
そんなどーでもいい事は夫だって耳半分で聞いてる程度だから忘れても全然いい。でも覚えてたら褒めてくれるし、また台所にいくときに私が気づいてもう一回褒めてもらいにいってもいいわけ。
褒めてほしかったら「褒めて」とダイレクトに言う。そんな簡単なこと誰だって理解できるしすぐにできるやろ?失うものも何にもない。武士道ファーストで生きている人(時代に合わなすぎるので減ってきてるといいなと思うけど)には難しいのかもしらんけど、そういう人はまず他人云々の前に自分のプライドと格闘しないといけないので別次元です。武士道は言語よりも行動重視の日本の文化考察の本です。それにはもちろん素晴らしい所もありますが、この本の権化のような日本男性は言語化が下手すぎて思い込みが強すぎると私は感じます。
あ、でも武士道の本は自分の文化歴史を知る意味でも読むべき本だと思いますよ!とてもいい本です。特に海外に住んでいる人はマストリードです。
話を戻すと、まず要求は分かりやすくて簡単なものに。そっから練習です。私たちはドイツ語同様、3歳から始めないといけないのだから。
なにその要求、あんた何歳?めっちゃガキやんと思った人いる?自分で言うても意味ないやん、私は何も言わなくても向こうに気づいてほしいねん!だって私はそれができるし!と思ってる人も今の日本ならまだ多いんちゃう?
それはひとりよがり。というか一緒に住んでいる人に対してロマンチックを求めすぎ。
台所をきれいにしたから褒めてほしいと私は思ったので、そしてそれはとても簡単に相手ができることなので私は言語化しようと決めただけの話。
それぞれの要求はそれぞれ違うだろうから、自分が何を求めてるんだろう、を知りそして簡単なことから言語化していこう。
話はそこから。文化適応のA1です。言語も言語化も時間をかけてゆっくりじっくり。
え、その簡単なことすらドイツ語で言えないぞ!と思った方は個人レッスンへどうぞ。どなたでも大歓迎です♪
もう一回武士道
やっぱり現地の語学学校がベスト。ドイツ語レッスン(3)
最近戻ってきてくれた生徒さんを見て感心したこと。語学学校ではスピードとミスのバランスを習得できるのがベストだよね、と思った。
