ドイツ語個人レッスン日記2025(1)「先生」について

2025年8月16日著者: Nana

こんにちは。ドイツ語の個人レッスンをしているドイツ住在のななです。

夏はしんどい

ドイツ語を学習中のみなさま、今週も大変お疲れさまでした!

また今週もドイツ語の個人レッスンに来て頑張って下さった方々、ありがとうございました。

今週はとくにお盆の時期ということもあって、日本に住んでいる方は仕事がお休みだったり実家に帰られたりと変化があったと思います。

日本に住む生徒さんからはよく日本の天気の話を聴かせてもらうのですが最高気温が42度となったとか、勉強するにも身体がしんどい気候の中で生活されているんですね。

そんなお盆、天気、休暇という三大誘惑があった中でもドイツ語を優先して来てくださった方もいらっしゃいました。本当にありがとうございました。来てよかったと思える時間を提供できていたらと思いやまないです。

もちろんお休みしてゆっくり過ごされた方も、リフレッシュしてまた次お会いできるのを心から楽しみにしています。

ドイツは日本ほどの猛暑でもなく湿気もそんなにないまぁまぁ快適な気候ですが、ドイツなりの苦しさもあります。それは家にクーラーを設置するという習慣がないことです。新しく建てられているおうちにもクーラー設備なしというのが普通だからすごい。ある程度年配の人たちは生活習慣的にクーラーの経験がないから古い考えだとしても、若者はどう思ってるのかな?と本当に疑問です。

うちは夫が若くテクノロジーにも先進的な考えなので、家にも実家にもクーラーが設置されてますがこれはあんまり普通じゃないです。

それに普通はすでに住んでいるおうちクーラー設置するにしても法外な値段がする上に(1台3000€強)、外に大きな換気扇を置かなければなりません。景観にうるさい近隣住民のこと、誰誰の許可がいるんだブヒー!と言ったりするのであきらめている方も多いかもしれません。外国人局のような公共のお役所でさえもクーラーがないしね。

ということでドイツも気候では日本よりだいぶ過ごしやすいけど、家の中や会社では椅子とふとももの間に汗をためながらみなさん仕事をしているはず。もちろん暑いと集中もできないのでだらだらと。

勉強だってやる気ないわーって気持ちまじでわかります。環境大事だよねー。

家が暑くてバテバテになっているヨーロッパ住在の生徒さんにはレッスンの時「ななさんいつ見ても元気ですねー笑顔ですねー!」と言われることが多いが、それはクーラーがあるからや。

人間は単純やねん。

今週のレッスン

ドイツ語の個人レッスンの話なのでドイツ語についてもちょっと触れておきましょう。

私の個人レッスンではカスタマイズレッスンを取られている方以外は、意図せずともかなりたくさんしゃべることになります。ね。スピーキングコースを取ってなくてもね。教科書コースの人もね。日本人の方には恥ずかしがり屋だったりミスが怖い方も多いです。そんな方々にたくさんしゃべってもらうための私の作戦は超簡単、答えやすい質問をすることです。

優しい皆さんは質問をされたら反射的に答えなきゃ!と思ったり、答えたくなったりしますよね。これは個人レッスンだからできること、答える人はあなた一人しかいないから!

欠点は視点を変えれば利点。質問をすれば絶対に答えてもらえる。

具体例を出しましょう。

今週、教科書コース1の人が来ました(教科書コースは3つあります)。高度なドイツ語を目指している人です。

この日は前回のつづきを忠実にやります。Begegnungen A2の111ページで、タイトルはIndirekte Fragen(間接的な疑問文)でした。

そしてその下にこんな例文が書いてあります:

Könnten Sie mir sagen, wo Frau krause ist?
Wissen Sie vielleicht, wo Frau Krause ist?

ほとんどの日本人は一般的なドイツ語の文法を先行して勉強しているので、それを利用して質問します。A2の生徒さんに文法を訊くときは日本語一択です。

「今日の内容はIndirekte Fragen!これは何だ?この文法、聞いたことありますか?勉強したことありますか?」って訊く。

生徒さんが見たことない、初めてって言ったらそれは当然私が説明します。その人に合わせて言葉を選んで。

でも見たことある、知ってると言ったら生徒さんに説明を促します。

「お、知ってる!じゃあIndirekte Fragenって何の文法?」

「この文法を初めて見る人に説明してあげて」

「間接的な疑問詞どんなんがあるでしょ?」

「woは?obは?」

とその人の持っているレベルによって質問を変えていきます。そう、ドイツ語だけでなく日本語でも生徒さんはずっとしゃべらされるんです。

すると生徒さんは説明しようと頑張る。その過程で生徒さんはどれぐらいこの文法を理解していたのか、または知ってるつもりで実はほとんど理解できていなかったのか、というのを自分で把握します。もちろん知ってると思ってても説明しようと思ったら無理だった、ということもあります。それはそれでいいんです。そんなの全然恥ずかしいことじゃありません。

そして生徒さんによって説明の仕方は色々です。そして私は促してできるだけ長く、知ってることを全部しゃべってもらいます。

「これは副文です」とだけ答えた人がいれば、「じゃあいっこ副文の例を出してみましょうか」と言ったりします。副文の文って最初にどんなことを思い浮かべるのかな、というのをこっちは見てるんです。

もちろん説明に正解はありません。正解はないですが間違いはあります。何を理解しているかというのを出してもらって、私はどこか間違って理解していないかどうかをチェックしています。

ドイツ語の文法に関しては自分の口で説明すると、自分自身が一番理解できるんです。

この経験を私のところで一度したら次の文法が出てきたときに「これ私読んだことある、練習問題はやったことある、でも理解できてる?」っていう疑問が湧いてきますよね。レッスンに来るのは週1でも、自習の時の意識まで変わるんです。私と会話しているように勉強できる。

そしたら私の文法動画を見たりして「これ訊かれたらどうやって説明しよかな」となって効率が上がるわけ。

そして文法は自分で説明できて初めて納得して使うことができます。これは自分で文を作れるようになるまでの大事な大事な課程なのです。

人の説明を読んで練習問題を解くだけでは実は「理解していない」のです。

今の例は今週来てくれた生徒さんにしたレッスンの一部です。あの生徒さんだから今のやり方が有効だと判断したのであって、教科書のあの部分が出てきても全ての人に同じことをするわけではありません。いつもほぼ一発勝負です。

先生という役割

そんなわけで「先生」がなんでも説明してくれると思っている人が私のレッスンに来ると拍子抜けするかもしれません。だから私のところに来てくれる生徒さんは「え!私が説明すんの!無理!でもしろって言われたし、やるしかない」という最初の感じから、慣れて来ると「訊かれる前に言うとここに名詞があるのはなんでかっていうと~・・・」とかって話し始めたりします。そのため笑いが絶えません。日本語のトレーニングでもあるね!と言われることもしばしばです。

他にもいろんな観点から「この生徒さんだけに有効」な工夫を詰め込んでいます。・・とかっこいいこと言ってるけど実際は準備して熟考してこれだ!としているのではなく、直観的なことが多いです。今はこうやったほうがよさそう、という感覚を信じてやっています。しかしその後でなんで私これがいいと思ったのかな、と考えます。以前はそうではなかったから経験の蓄積が勘を磨いていると思います。

そんなわけで生徒さんの中には前に誰もいない時間を狙って予約する人のほうが多い気がしますが「後ろに誰もいない時間」のほうが色々考えてもらえる可能性が高いのかも、私の場合ね(笑)

なんかね事前準備をすると人間、頑張って準備した内容を(必要なくても)絶対にしゃべりたくなるんです。それをあえてしゃべらないというのは自己制御が必要で、かなりのエネルギーがいります。だからどうしても事前準備を入念にする人は多くしゃべってしまう。私は臨機応変さを失わないために自分がしゃべりすぎることを避けたいのです。

だから私は自分が先生で、「先生は生徒に教えるもの」だとはあんまり思っていない。

もちろん先生と呼びたい人はどうぞどうぞ呼んでもらってかまわないです!しかし呼ばなくても全然いいです。14歳の子でさえ「ななさん今日世界一嫌い!(作文が嫌いなのに作文の書き方をする日だったからです笑)」とか言ってくる、また言えるのが私のレッスンの特徴です。でもそれって「先生」としての責任放棄なんじゃないの?責任逃れじゃないの?と思う人もいるかもしれません。でも私は決してそうは思いません。私はけっこうストイックに自分の仕事をしていると思っています。むしろ生徒さんの方が生徒と先生という役割で見るからこそ「私は教わって」「この人に教えてもらう」という受け身な態度になるのではないかと思うのです。

いやそんなわけないやろ。メインは生徒さんのほうなのに。

私の考える先生の定義は「私よりも広い視野を持って私を助けてくれる人」だと思っています。つまり補助器具です。メインを助ける補助器具。逆にその程度に過ぎないです。ないと困るし自分ではできないけどメインでは決してないです。

そして先生の一番大事で困難な仕事は、生徒さんの知識を正しく把握することです。知識とは今までの学習の総まとめですから大変なことです。でもしっかりと観察しそこに全力を注ぐべき。知識を隠したがる人もいるので(特に10代の子たち)、そこは時間をかけてでもちゃんと引き出すスキルを持たないといけません。それも先生の役割だと思います。それができると生徒さんの気づかないところや漠然としたところを助けられる。だってこれだけは他人じゃないとできない。自分が気づいていないものを改善できるわけがない。これが同時に独学の効率の悪い所ですよね。やっぱり大事なお金を払うということはそれなりの対価、またはそれ以上の対価になることもあると思っています。

先生に「私はこう思う」と主張してもいいし指摘してもいいし文句言ってもいいんです。そんなことで自尊心が傷つくようでは先生に向いてない。言い方にはちゃんと敬意がいるけれども。

まぁドイツの教育現場ではそんなの常識で、そもそも生徒が「先生」とすら呼ばないですよね。Herr SchmittとかFrau Schmittつまり「シュミットさん」というふうに呼びます。教授でもそうです。〇〇教授とは大学内ではまず呼びません。

☆☆

さらに人は誰でも自分のことをしゃべりたい、相手に理解してほしいと思っています。そして人にたくさんしゃべった後って後味がいいな、気持ちいな、と感じたことはないでしょうか?もちろん聞く側の姿勢も重要ですが。

私はドイツ語の知識だけでなく、一人の一人の生徒さんの人なりや歴史に心からの興味を持って接しています。人間ほど興味深いことはないんだから。

ドイツ語だって心理戦。ドイツ語を「教える」ことも大事かもしれないけどそんなの一番じゃありません。私がドイツ語の中身を本当に「教える」のはレッスンの中の1割ぐらいだと思います。その1割はしかし本当にその生徒さんが必要なもの。あとの9割が生徒さんの質問と、生徒さんのことを知ることに時間を割いています。

私はもうYoutube動画とかこのブログでさんざん不特定多数の方に向けてドイツ語の中身を説明しています。必要なときは簡潔に生徒さんに「説明する」程度で済んでいます。だって動画一本にはその10倍以上の知識が隠れているのだから。

もしレッスンで10割ドイツ語の中身についてだけ話したいというマニアックな人がいたら、あなたのほうに相当の知識がいるでしょう。でもそれを希望されても大歓迎ですよ!

それではまた来週末も書きたいと思います。来週もレッスンを予約されてる方は、お会いできるのを楽しみにしています♪

私/俺も自分の補助器具を探している、自分が積極的になれるレッスンを受けてみたいという方は個人レッスンへいらしてください。

「言葉がすべて」の本当の意味。ドイツ語個人レッスン日記(2)

ドイツの交流文化、Gesellschaft leisten。これがとても難しい。なぜか?について私が思ってることを書いています。